野球版Jリーグ(3)◆社会人野球と地域密着

僕の家は毎日新聞をとっている。もちろん、都市対抗野球を後援している新聞社だ。
ずっとここ以外とったことがないので、毎年夏になるとスポーツ欄に都市対抗の記事がデカデカと出るのを小さいころから見てきた。
その毎日新聞の記事の中で、対戦チームの表記が「○○市」「△△町」となっていて、企業名が小さくカッコつきになっているのも、ずっと前からなじみがあった。だからそれについて疑問に思わなかったのだが、他の新聞は皆企業名で表記しているということを、後で知った。
新聞だけでなくて、地方予選を見に行った際、球場のスコアボードでも都市名で表記する例を見た。が、これは地区によって統一されていないみたいだ。

毎日新聞はあくまで、都市対抗野球の伝統にのっとって都市名で表記したいんだろう。あと、独特の補強選手制度があり、都市対抗野球時のチームと、都市対抗以外の時のチームとでは、厳密には同じでない。それも、チーム名で呼ばない理由のひとつだろうと思う。
現代の、ほぼ企業対抗である都市対抗野球の実態を見れば、チーム名を都市名で呼ぶやり方に違和感を覚える人がいても不思議じゃない。僕だって記事の表記を見るたびに妙な歯がゆさというか、しっくりこない感じをよく受ける。それはよくわかる。


だけど、社会人野球を知るにつれ、社会人野球は地域と関係がないとも言い切れないし、かといって名の通り都市対抗そのものであるとも言い切れないということがわかる。チームによって事情は様々で、複雑な関係によって成り立っているのを知ることができる。


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社会人野球のことが書かれた記事やHPをたどっているうちに、かつての社会人野球の様子の一断面が伺い知れる記事を見つけた。
http://kyushu.yomiuri.co.jp/sports/feature/tuioku/tu_905_090514.htm

日曜日には日鉄嘉穂など他のノンプロと練習試合が行われ、坑内の男や子どもたちがスタンドを埋めた。足しげくグラウンドに通った野見山亮一(63)は「江藤さんらすごい選手を身近に見られ、楽しかった」と懐かしむ。坑員にとり、陽光を浴びての観戦は何よりの息抜きだっただろう。
(中略)
「あの時代、日鉄二瀬は、筑豊に一番の娯楽をもたらしてくれた」

この記事にある日鉄二瀬が都市対抗で準優勝したのは1952、58年。企業チームの数がピークを迎えたのが1963年(237チーム。JABAのHPより)。高度経済成長時代を迎え、各地に企業城下町が増えた、企業チームが最も勢いのあった頃の話だ。
「社会人野球は実質企業対抗である=地域密着でない」と単純にとらえることはできない。少なくとも歴史上、一企業の野球チームが町全体の期待を背負っていた時代があったのだ。街がひとつの企業に経済だけでなく行政や住環境まで依存してしまうような中では、たとえチーム名に地域名がなくとも「おらが町のチーム」であり、地域の娯楽としての側面も持っていた様子は、上の記事からも伺い知れる。その「企業城下町」の実態が健全かどうかは別として。
(妄想だが、この時代にもしJリーグのような、ホーム&アウェイの野球リーグが九州にあったらどんな様子だったろう。)


今はどうか。
企業チームが大幅に減少したのはご存知の通りだが、企業城下町に根を下ろすチームが特に少なくなった。Wikipedia企業城下町の一覧を見ると、かつて野球チームがあったが今は存在しないという街が多くみつかる
それでも全くなくなったわけではなく、例えば「北関東3強」こと富士重工日立製作所住友金属鹿島は同一地区に企業城下町系のチームが3つ並ぶという稀な例で、都市対抗の北関東予選は毎年何千人もの観客が来る。
「こういったチームがあるのなら、Jリーグ"みたいなもの"を作りやすいのでは??」
などと簡単に妄想したくなる。
が、「都市対抗そのものであるとも言い切れない」面が顔を出す。チームによって、事情は様々だからだ。
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